[雑感]FIREを題材に日本人と議論の親和性を考える

雑談

常日頃、あらゆる場面で、日本人は、自身と異なった考えや行動に対して、寛容度が低いばかりか攻撃的なケースが多すぎないか感じていました。先日、FIREされている方の動画を拝見して、反論したくなる気持ちに共感し、自分でも、考えてみることとしました。

日本人は議論が苦手?

自分からみると異質なものに対する否定に対して意見された内容です。このようなコミュニケーションのミスマッチは日常茶飯事のような気がします。

YouTubeかめたろ氏中高年がfireやってみたより引用

自由主義・民主国家の基本と日本文化の親和性

政治でも、経済でも、「1.個人を個人として尊重(憲法13条)、2.個々人が事実に基づく論理的な思考をおこない、3.相互に議論の過程を通じて検証し、意見を修正したり、全く新しい結論に到達したり、はたまた他者の意見を反映し、深化させ物事を進めていく」というのが、自由主義に基づく民主国家の基本的なあり方です。これは、多様性を前提としており、多様性なければ機能しづらいものです。

しかし、歴史的に形成された日本文化は、この原則と親和性があまり高くなく、歪が生まれてしまう。それが息苦しさや社会的停滞の一因なのかとも考えています。

この息苦しさや停滞感に対して、外国人からみた「日本すごい!」に傾倒してストレス解消しているのは、健全ではない気がします。

親和性がないと考える点

独特のコミュニケーション文化

独特のコミュニケーション文化「空気を読む」

日本人は言葉の裏に隠された意味や、その場の空気を読んでコミュニケーションを取る独特の文化があります。 「暗黙の了解」や「本音と建前」「不文律」なども存在します。

「空気」そのものは曖昧模糊としており、誰かの一見解でしかなかったり、単なる願望である場合もあるかもしれません。目に見えず言語化もされない非常に扱いづらいものです。

さらに、集団の同質性がないと「空気を読む」コミュニケーションは成立しないため、多様性を前提とする議論の文化とは対局に位置にあることとなります。ここでは、コミュニケーション文化を守るために、同質性を維持しようとする力が意識的にか無意識的にか働くこととなります。

同質性過剰重視 「出る釘は打たれる」

人間そのものが集団で生活する動物なので、同質性維持は必要ですが、特に日本社会では先のコミュニケーション文化と相まってこの傾向が強いです。これは、皆さん実生活で経験されていると思います。

ブログ主の学生時代は、体育の授業といえば、前にならえ、右向け右、全体行進ですし、制服に持ち物検査、髪型の指定など、形式面から個人の尊重と対極の教育がなされていました。 

紹介した動画はごく軽いケースですが、個人レベルでも集団レベルでも、自分と違うものに対して、共存や学習から入るのではなく、まず否定。のみならず、攻撃的になるケースも多く、異質なものへの寛容度が低いと感じます。しかも、原因は関係なく、ただ違うというだけで。一般のサラリーマンとは異なるFIREや起業への視点から、過去のライブドア事件、ペロペロ事件、現在の中古車販売店へのマスコミ報道など、いったん排除の方向になると何でも、必要以上に徹底的に叩く社会は苦しいです。

上下関係のビルトイン「亀の甲より年の功」

昔の儒教の影響と言われる上下関係も、議論の文化と親和性がないです。

先輩後輩関係は、我々が自然と身に着けている独特の文化であり、会社では、年功序列・上司部下の関係に引き継がれます。「後輩なのに生意気だ」 「上司に意見するのか面子を潰された」と感情論に傾きがちで、後輩からはなかなか意見しづらいのは多くの方が経験されていると思います。
この関係は、フラットな会議・議論には、明らかに阻害要因です。

冷静になるべきですが、ブログ主も会社員時代、晩年は後輩が上司になることが重なり、心が重かったです。身についた文化による感情の呪縛は重いです。

さらに、年功序列では、トップ層は高齢者になりがちで、「亀の甲より年の功」とうまく機能すればいいですが、日進月歩の現代社会にはなじまないことも多いです。

政治の世界では、首相がITをイット と読んだり、東京五輪で、日本政府のサイバーセキュリティー戦略を担う大臣がPCを触ったことがないことが話題になったりしました。これでは土台から議論は成り立ちません。

言霊

言葉には不思議な力があり、縁起の悪い言葉を発すると、発した言葉が本当に実現されると信じて、言葉の使用をつつしんだり避けたりするか、積極的に利用としようとすることが古来から受け継がれてきました。

科学的、合理的ではないと思われますが、今でも、我々は「縁起」を気にしますし、願掛けやお祓いをしてもらったりしています。

これらが戦時では、撤退や降伏の議論に影響し、現代でも、議論に影響を与えています。

まとめ

つらつらと私見を書いてしまいましたが、想定されている社会制度と、伝統的な生活様式・文化のミスマッチを意識しておくと、問題発生時の一つの糸口になるのではと思いまとめました。

何よりも、我々中高年と全く異なるコミュニケーション基盤で育ったSNSネイティブ世代が、すでに社会人として活躍し始めています。我々中高年は、老害とならぬよう自らを戒め、次世代の活躍を支援していきましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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