第二次世界大戦時に既にNISAが存在していた!戦前に投資信託の運用益が非課税となるNISAのような制度が既に存在していました。しかも、敗戦そして長期の株式市場閉鎖を経ても、戦前に国策で組成・販売された投資信託は戦後償還されていました。歴史的事実として紹介します。
最初の投資信託と戦時下の非課税制度
引用:証券経済研究第113号 戦時投資信託について 深見泰孝氏
「運用は,株式投資によって得た収益が,国債に再投資されており,戦時投資信託は主として株価維持,生産力拡充資金供給を目的とし,副次的に国債消化資金の供給にも活用された。」
目的は、戦争遂行のため、株価維持により増資による資金調達を容易にするものと、現代のNISAとは目的が異なります。しかし、株式市場への資金流入を図るため、非課税制度まで設けて、都市部から農村部まで幅広く販売していました。
詳細はリンク先を確認いただきたいのですが、以下の引用文、とても、戦前の制度説明にはみえません。日付を変えれば現代の何かの制度と見違えます。さすがに損失補填は今は無理ですが。運用商品の制限について「銘柄選定に大蔵省の許可」のあたり、現代のつみたてNISAの対象が金融庁が選定している商品に限定されている点と類似しています。
しかも、現代も、目的は違えどNISAで非課税枠を拡大して投資に誘導しています。戦争を経て何十年後に同じようなことをおこなっているのは奇遇でしょうか。
1941年11月14日,野村証券を委託者,野村信託を受託者とし,両者の間で委託者を受益者とし,有価証券投資を目的とした特定金銭信託契約を結び,その受益権を均等に分割して一般投資家に売却する投資信託)が認可された。
野村証券が創設した投資信託は,次のような仕組みであった。まず,信託金額は 1 単位200万円とし,その受益権を4,000口に分割して 1口500円とした。そして,信託期間は 3 年または 5 年とし,投資証券は国債,地方債,社債,株式とされ,それへの資金配分は①国債への投資は信託財産の10%以上,②株式への投資は年4 %以上の配当をするものに限られ,その比率は信託財産の70%以下とする。③株式投資額の50%以上は東京,大阪株式取引所上場銘柄とし,④株式 1 銘柄への投資は,信託財産の20%以下とすることとされた。
この投資信託には二つの特徴があった。その一つが組入証券の売却,買入,銘柄選定は大蔵省の許可を必要としていたことである。つまり,政府が投資銘柄の選定に介入できる仕組みとなっていた。もう一つは,信託期間中の買戻しによる一部解約は認められないが,当初元本に損失が生じた場合は,その20%を委託者(証券会社)が受益者(投資家)に補償する損失補償条項が設けられていた点である。
投資信託募集の転機となったのは,1944年 4月設定分から国民貯蓄組合の斡旋対象となったことである。これにより 1 人元本 1 万円までの購入に対しては,その収益が非課税となったため,免税の恩典を受けようと高額所得者の資金シフトが始まり,平均加入口数はそれまでの 4口から 8 , 9 口へとほぼ倍増し,高額所得者や企業整備によって売却資金を得た人など資産家の投資が拡大していったとされる。
戦時下の株式市場
引用:横浜商科大学 研究ノート4巻1号 太平洋戦争下の証券市場 竹中清之助氏
戦時下の市場の雰囲気です。東京大空襲は歴史的大事件にもかかわらず、1週間と少しで再開。驚くほど冷静に見えます。
昭和20年3月9日の東京大空襲は、物的な損害も大きかったが、心理的影響も大きく、兜町の証券業者の中でも、焼夷弾を受けたものも出た。このため株価は急落し、株価指数は2月の205.1から193.2となった。空襲により交通も破壊されたので東京市場は3月16日まで立会停止となった。
すでに、20年2月ごろより民需株、平和株が注目され始めたが、3月9日移行において民需株の動きが目立始めた。
そして投資信託は償還された
引用:長崎大学 経営と経済, 76巻4号 我が国の投資信託と投信委託会社 高橋元氏
募集価格が1口500円、非課税枠は1万円まで、株式市場は戦後3年以上封鎖されていた、戦後財産税は、10万円以上の保有資産に課せられたことから推測するに、1口の単位はそれほど大きくない金額です。敗戦を挟んでも元本割れは3割程度とは。
しかし、戦後の消費者物価指数は戦前対比100倍近く上がっていることから、実質的な価値としては、ほぼ無価値となっています。
株式でもインフレには勝てなかった事例です。
これら一連の投資信託は,国民貯蓄増強の国策を映じて順調に拡大し,終戦により募集中止となる 1945 (昭和20)年 8月までの累計ユニット数は135本,設定総額は 5億2,850万円に達している。ただ,当時の投資信託は信託期間が 3-5年であったが,終戦によって多くの証券の価値が喪失した
こともあり,上記の 2割補償の負担などから,終戦後 2年間の償還延長措置が講じられた。その後,戦後インフレの昂進を背景とした株式市場の活況などもあり,戦後の1949 (昭和24)年から 1950 (昭和25)年にかけて各社は全ユニットの償還を行った。 3割近くのユニットは元本割れとなったが,平均償還価格は541円(最高774円,最低404円)であった。
戦前戦後のGDP推移です。終戦にかけて日本のGDPは急落します。
最後に
戦争は論外ですが、よく議論される政治的側面のみならず、前提となる経済的側面も複眼的な視点を持つ上で重要となります。
毎年のように過去最高を更新する政府債務、中央銀行の国債引受残高やETF買入、諸外国と比較して上昇しない賃金とインフレ率。個人レベルでは対処困難ですが、過去の有事ではどういうことがおこったか知っておいて損はないと思います。
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