ユヴァル・ノア・ハラリ氏の新作「NEXUS 情報の人類史」を読了しての所感です。株式投資のみならず社会のあらゆる分野でSNSやAIによって情報の扱いが激変している中、この分野を今一度整理したく手に取りました。
NEXUS 情報の人類史
本書では、前々作「サピエンス全史」の続編とも言うべき本書。人と人を結びつける「情報」を基軸に、聖書の時代からAIが急速に浸透しつつある今現在に至る人類史を紐解いています。
とにかく、分量が多く、教会、魔女狩り、独裁政治、民主政治から、AIアルゴリズムの功罪までとにかく幅広い歴史的事例が登場するので読み進めるのに力を要するものの、今まさに社会が直面する課題について正面から向き合っており、自分の頭で理解、整理する際一つの切り口として大変参考になりますし、知的好奇心を大いに刺激してくれました。
本書で繰り返し述べられている「誤謬は不可避であることを前提に、修正メカニズムをいかに効果的に機能させうるか」という視点は、政治体制では、三権分立として多くの民主国家に既に組み込まれており、この視点で情報の世界をも語るのは、新鮮でもありました。
読んでいる最中AIに関する記述では、映画ターミネーターの世界での「スカイネット」やマトリックスでの人工知能と頭の中でリンクしてリアリティーを感じさせてくれます。
SNS等の情報の扱い
本書の中では、facebookでおこった極めて深刻な事例が記述されていますが、そこまで至らぬとも、最近のXなどのSNS上での意図的な事実曲解・切り抜き・印象操作、無知による誤認識・誤情報の拡散には目に余るものを感じています。
つい最近まで、歴史上長い間、紙であれ電波であれ、広く大衆に情報伝達するメディアは有限で希少であり、かつ多くの人間が携わるも特定されており、扱われる情報も発信されるまでに幾多の人の手を経てふるいにかけざるを得ないため、それなりの公平性や真実性は担保されていたと思います(勿論、特定の意図での世論誘導など問題点も多々あります)。
ところが、ここわずか数十年で、不特定の架空の人物やAIも含まれるかもしれない一個人が匿名で何らチェックを受けることなく、直接玉石混交の情報発信を直接無制限、無制約にできるようになりました(当ブログもその一つ・・・・・)。
こうした事態は人類史上経験されたことはなく、誰しもが立場を問わず扱いについて試行錯誤中の感があります。つい最近でも甲子園出場辞退で議論を巻き起こしました。
ブログ主個人としては、市場原理に信を置いてますので、課題がたくさんあっても、規制ではなく、自由で多様性が最大限確保された言論の中で自然淘汰させ続ける方が、長期的には、より公平性や真実性は担保されると信じます。
ネガティブな面だけではなく、ポジティブな面に目を向けると、一個人が、国境を超えて、多くの人を動かし、地方行政のトップまで巻き込むほどの影響力を持ち得る潜在力をSNSは持っているのですから。
現状、考えうるバックボーンとして、いつも思い出すのは、こちらです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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