日本国憲法27条1項に勤労の義務が規定されています。学生時代に国民の3大義務として学んだ方も多いと思います。では、FIREしたら憲法違反でしょうか。そんなことは絶対にありません。今回たまたま目に止まったコラムを読んで考えてみました。
慶應義塾大学のコラム
外部リンク:「勤労の義務」について考える 経済学部教授太田 聰一氏
慶應義塾大学の通信教育課程の教員コラムを引用させていただきました。なぜ憲法は勤労の義務を課しているのか思考を深めてほしいとのこと。FIREを実験中のブログ主にも刺さるお言葉であり考えてみました。皆様はどのように感じますか?
日本国憲法
大学で勉強した方なら御存知の通り、憲法の名宛人は、国家権力です。立法・行政・司法の三権に分立された国家権力に対して不可侵の領域としての人権を明示することで、権力の濫用を防止することが最大の存在理由です。
よって、憲法から「義務」を国民が課されることはなく、本規定も憲法論的には訓示的規定で、何らか法的効力を有するものではないといのが通説的見解です。
FIREしたからといって憲法違反になるとは絶対に有り得ないです。でも、今回たまたま目にして気持ちよくなく、腑に落ちません。
勤労と不労所得
憲法で使われている「勤労」の国語としての意味は、「賃金をもらって、一定の時間内、ある仕事をすること。もと、勤めに骨を折ること。」「心身を労して仕事に勤めること。勤めにはげむこと。」とかでてきます。
被雇用者を想定して会社経営者や自営業者は含まれていない印象を受けてしまいます。
コラムでは「社会参加」の言葉が出てきます。株式の運用でも、自分が使って良い資金をリスクを引き受けて事業会社に提供しているわけですし、銀行預金も同じく自分が使っていい資金を銀行を通じて、間接的に事業会社に供給しているので立派な社会参加ではないでしょうか。
「不労所得」という言葉の印象も良くないです。労働ではない印象を与えてしまいます。所得を得ているということは社会貢献をした結果であり、労働の形態は関係ないと思います。
雑感
以前にブログでも書きましたが、健康保険の扶養制度や国民年金の3号被保険者の制度は、夫婦のどちらかの労働を制限していています。また、そもそも自営業者と厚生年金制度のある会社員は平等ではないと思います。退職金制度も、401Kが導入されたものの、まだ長期勤務者に有利な制度になっています。雇用の流動性を妨げているのではないでしょうか。
今回の勤労の義務もしかり、社会制度が、会社員になって定年まで働くことを前提に作られていることを退職して痛感しました。
事実上、起業したり資産運用したり、転職したり、多様な働き方が平等にでき、いつまで何をするかも真に個人に委ねられる多様性が、制度的にも社会的にも認められていないことが、少子高齢化や新陳代謝が起きず停滞している経済の一因なのでは。
コラムの最後の質問に対するブログ主の答えは、「質問そのものが失礼。自分のことは自分で決めるべきで、他人があれこれいう問題ではない」でした。皆様はどう思われたでしょうか。
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