最近のSNSや政治家、メディアの言論をストレートに表現するユニークな動画を共有させていただきます。
握手の鬼 日本人向け日本語教室
毎回様々な角度から笑わせてくれる動画を提供される握手の鬼さんのYouTube動画です。様々なメディアで遭遇することが多く感じる日本人のメンタリティーをストレートに巧みに表現されている秀作と思います。
ブログ主は、今年の流行語大賞への野党系議員を中心とした反応をすぐに思い起こしました。こういう言動を意図的に利用する既存メディアにはうんざりすることも少なくありません。
言論において意識しておきたいこと
意図的な攻撃者
背景の意図を隠して、表面的に別の発言で、背景の意図を実現しようとするステルス的な言論に要注意です。
ブログ主居住地の最近の地方選挙では、SNSで誹謗中傷されたと現職知事が強調していましたが、正当な事実に基づく主張も含まれる言論を、「誹謗中傷」というレッテルでまとめてしまい、覆い隠すようなことは、自由な言論の趣旨に反するように思います。
逆に、現在の某国やかつての隣国のように、事実も事実ではないこともまとめて、物量でまとめて言ったもの勝ちの状況を作られるケースもよくあるので注意です。
さらに、都合の良い言動だけ切り取って加工するのは、もはや常套手段化している感があります。
受け手のバイアス
心理学や行動経済学で明らかにされている合理性から逸脱しがちな人間の認知の歪み、傾向で多かれ少なかれ誰にしも当てはまります。
発信者が意図的に受け手の認知の歪みを利用したり、逆に歪んだ認知を前提に誤った発信がなされてしまう場合があります。後者は発信者は認識がないため厄介な面があります。
野党系の議員の意味不明な発言は、これらで説明できてしまう事が多いように感じます。
<一例>
確証バイアス 深く意識せずに自分の考えや仮説にフィットした情報を優先してしまう心理
後知恵バイアス 物事の結果を知った後の方が、そうなるであろうと予測できた、と考える心理傾向
アンカリングバイアス 決定を下す際に1つの特性や情報(通常、その主題について最初に取得した情報)に過度に依存する
アポフェニア 無関係なものの間に意味のある関連性を知覚する傾向
利用可能性ヒューリスティック 記憶の中でより「利用可能」な出来事の可能性を過大評価する傾向
自己中心的バイアス 自分自身の視点に過度に依存する傾向
日本人固有の特性
京都の方の「ぶぶ漬けでもどうどす?」に象徴的に言い表される本音と建前の文化が言語と共存していますので、これも動画のような事象に陥りやすい一因です。
さらに、動画でも登場していますが、「言わなくても空気を読め」という文化も根強く、これがコミュニケーション齟齬の原因となり得ます。
加えて、言ったこと念じたことは現実化するという「言霊信仰」も侮れません。首相の有事発言が喧々諤々の議論となっており、あんなこと言ったからという反応が少なからず発せられています。現行法制下で、様々な事態を想定して法解釈を行うのは現実的な事前対応でそれこそ必要なことでなんでもないことなのにもかかわらず、国内からも、感情的な反論が見られるのは、言ったから現実化してしまうという「言霊信仰」に縛られている証左であります。
憲法9条の問題にしても、現実には必要で存在するものを建前ではなかったことにして、現実から目を逸らし、自分だけ安全地帯から平和主義者だと自己陶酔している人が多いのも、こうした文化の影響が強いことの現れといえます。
罠に陥らないためにも
こうしてみると、SNS等で誰しも発信者となりえ、有象無象の言論が飛び交う現代は、表現の自由が拡充する利点がある一方、人間そのものの特性に加えて日本の文化的背景も加わって、危険も増幅される危うい状況とも言えます。
資産運用の話なら、業者が巧みだったですみますが、政治的言論となると、時に、真の意図を見誤ったり、認知の歪みで気づかぬ間に誤った選択を支持してしまったりすると、結果的に多くの人命が失われたり、「自由」そのものが失われ二度と取り戻せないことにもなりかねません。
ブログ主個人的には、まずは、客観的事実か否かをしっかり判断する。客観的事実であれば、それをいかに評価する、もしくは評価されているのか、分けて考えることを意識すべきと考えます。
事実の有無の話か、事実を前提とした評価の話か分けて考えることが罠に陥らない第一歩です。
最後までお読みいただきありがとうございました。



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